ナイトオブシックス、アーニャの朝はいつもどおりに始まる。飼い猫たちそれぞれに挨拶をし、それからトレーニングをしてミルクを一杯あおる。ウェアから騎士服に着替え、ペンドラゴン宮殿へと足を運ぶ。これがいつもの、遠征をしてない時の彼女のスケジュール。
ナイトオブラウンズがこうして普通の日常を過ごせると言う事は、それだけ安定しているということなのだろう。現在ブリタニアの首都であるペンドラゴンには全てのラウンズが揃っている。無論皇帝から命が下れば世界の果てまで飛ぶことに変わりは無いが。宰相シュナイゼルの手腕により最低限の戦力で最大数の戦力を叩く事が現在は可能となっている。
報告書云々を考えれば暇なのは結構なのだが、こう暇すぎると個性的過ぎるラウンズの中で小さな問題が起きる事も容易に想像できる。ワン以外に身分も、実力も関係ないと言われている。それ故にラウンズ入りしたものは皆ブリタニア最強の騎士の称号、ナイトオブワンを目指すのだ。そう簡単に順番が入れ替わるわけではないし、現ナイトオブワンビスマルクの実力は誰もが知る所もあり早々ワンの座を手に入れられるとは思っていない。なりたいけどなりたい、けれどなれない。そんな不満を抱えているラウンズは多いが、実際表に出している人間はアーニャの知るところ一人しかいなかった。
「これはこれは、ナイトオブシックス殿。本日も遅いご出勤で」
白亜の柱が連なる廊下で、蔑みを含んだ声がアーニャのピンク色のマントに降りかかる。不満を発散するために小競り合いがあるのは分かるが、この男に関しては中々一筋縄でいかない事を彼女はよく知っている。だから無視をした。聞こえない振りをして。
「…………」
遅いも何も、これがいつものアーニャの時間でベアトリスに嫌味を言われる時間では決して無いはずなのにどうしてこう絡んでくるのか。
(……ライが見つからなかった)
いつもこの男が絡むのは決まってナイトオブサーティンのライ。御前試合で派手に腕を飛ばされた事を今も根に持ち事あるごとに絡んでいたのだが最近になってライは姿を見せなくなった。あの、ナイトオブセブン柩木スザクの御前試合から。
新しいラウンズにアーニャはそれ程興味は抱いていない、いや、無いと言ってもいい。記録用として写真は撮ったし、ナイトメアの扱いもアーニャの目から見ればそこそこと言ったところで別に目を引くこともない。だけど、ライは気にしているようだった。
御前試合の後のジノ主催の歓迎会にも顔を出さなかったし、本宮殿で行われた盛大なパーティにだって皇帝陛下に挨拶をするだけにすぐに下がってしまっていた。
「ナイトオブシックス、皇帝陛下のお人形。お前にとって大事なものとは、なんだ?」
お決まりの台詞を男が言う。
この男――ナイトオブテン、ルキアーノ・ブラットリー――はこんな禅問答めいた事を敵味方問わずに聞いてくる。そしてアーニャが答えを言う前に、いつも答えを出してしまう。
「そう、命だ」
かちり、と金属の音がする。
懐に隠し持っている暗器の音だろう。
彼の人殺しのセンスは、アーニャも認めている。認めているだけで、褒めようとは思わない。スタンドプレーは当たり前のこと、騎士道精神に反する行動や言葉の数々。騎士道精神に反している点ではライも同じことが言えるが、このルキアーノは更に酷いようにアーニャは感じていた。
「それはあなたの答え。私の答えじゃない」
足を止め、暗器を指でもてあそびながら近づいてくるルキアーノを赤みがかった目で横に捉え、眉を潜める。この男がラウンズでなかったら、狂人か稀代の快楽殺人者となった事だろう。いっそのこと敵だったのならば、モルドレッドで相手に出来たのに。ラウンズ内の決闘は認められているが、それにはベアトリスや皇帝陛下の認証が必要となる。いきなり剣を持って殺傷沙汰は、ご法度なのだ。
「へぇ? それじゃあお前にとって大事なものとはなんだ? 携帯電話か、記録か、記憶か」
「…………あなたには関係ない。ジノやライが相手にしてくれないからって、私に当たらないで」
「当たる……? 冗談じゃない。あんな家だけでラウンズ入りしたお坊ちゃんや、素性すら知らぬイレギュラーに相手にされない、だと? 違うな。相手にしていないのだよ、私が」
「……どっちでもいい」
ぴくり、とルキアーノの纏う空気が変わるのをアーニャは背中で感じ取る。今言ったのは、わざとだ。ルキアーノは酷くジノとライを嫌っている。ジノはいつもの調子で軽くかわしてしまう。家同士が不仲らしいが、詳しいことはアーニャも知らない。ライも、相手にはしてないが彼の高いプライドを皇帝陛下の前で盛大に傷つけられたこともありどんなに無視をしても執拗に絡んでいく。ジノなど一度決闘を申し込んでこてんぱんにしてしまえなどと言う始末だ。
「そういえばナンバーズがラウンズ入りしたらしいじゃないか。全く、イレギュラーナンバーだけではなくナンバーズとは……しかもあの虐殺皇女の騎士だったと言う」
その名をこの場で口にすることは、禁句にも近いものがある。まだ半年と経たない時にエリア11で起こったユーフェミア第三皇女による日本人虐殺の事実は、皇族や貴族の中で口にしてはいけない禁忌の言葉とされているはずなのだが、それを簡単に口にしてしまうのはやはりルキアーノの性格故だろうか。
「陛下の御酔狂にも困ったものだ。よりにもよって、ナンバーズ、しかもイレヴンをラウンズに迎え入れるなど。栄えあるナイトオブラウンズの名が泣く」
「……陛下の批判するなんて」
「批判? 違うね、これは陛下の事を思うからこそさ。得体の知れぬ人間は邪なものを呼び寄せる、そう陛下の御身を心配しているからこそ私は言うのだよ」
(また、ライのこと)
得体の知れない人間という言葉がぴったりと当てはまるのは、ライ以外にいない。スザクもナンバーズ出身とは言え経歴ははっきりしているが、実はライの方ははっきりしていない部分が多い。ある日突然皇帝に呼び出され、銀灰の髪を持つ少年に向かい皇帝は告げた。この男をナイトオブラウンズに迎え入れると。誰もが異を唱えたい空気の中、渦中の少年はゆっくりと皇帝に膝を折り、綺麗な騎士の礼をしてみせた。この件に関してはベアトリスも寝耳に水だったのか、しばらく頭を悩ませていたらしい。
しかし皇帝がこうだと言えば従うしかない。実力を疑う声もあり、皇族の一部と皇帝、そしてナイトオブラウンズだけが参加するという異例の御前試合でルキアーノと銀灰の少年、ライは対峙した。ブリタニアの吸血鬼、ルキアーノが相手ではいささか可哀想だと進言し自分が代わりに相手を務めると言ったノネットの意見を退け二人の戦いは始まった。
相手はあのブリタニアの吸血鬼、人殺しの天才とまで言われるルキアーノ。誰もが新たなラウンズ、ライが完膚なきまでに叩きのめされると思っていた。勿論アーニャも。
しかし予想に反し、結果は経歴不詳のラウンズの勝利で終わる。ルキアーノの愛機、パーシヴァルのメイン武器でもあるドリルのような右腕を切り裂いて。
アーニャがライに興味を初めて持ったのは、この時かも知れない。
コックピットから出てきたライは、顔色一つ変えずに切り落としたパーシヴァルの右腕を見下ろすと、皇帝に向かい胸に手を当て頭を下げると、さっさとその場を後にしてしまった。それだけ見ればただの愛想の無い新人だったが、一瞬、たった一瞬だけアーニャがシャッターを押した瞬間無表情だったライの表情が動いた。
その顔は、泣き出しそうにも、笑いそうにも見えた。
「……ライが気に入らないなら、決闘を申し込むなりなんなりすればいい。ここで何を言ったって、負け犬の遠吠え」
「なん、だと」
「あなたはライに負けた。皇帝陛下もベアトリスも、他のラウンズだってみんな知ってること」
「違う! 私は負けてなどいない! あの男にこのブラットリー家の私が負けるはずなど!」
「……どうして私に言うの? ジノなら負けた原因を全部言うから? あそこで急いで追撃を狙ったあなたが悪い。ライは、わざとあそこで隙を作ったのをあなたは分からなかった。全部、ライの読み通り」
「貴様!!」
足を止め、ルキアーノのトラウマとも取れる御前試合の二人のやり取りを正確にアーニャが話し出すと、ルキアーノの顔色が見る見るうちに変わる。ラウンズ最年少とは言えアーニャとて超越したナイトメア操縦技術を持つ身。あの試合がどんな運びだったか冷静に見ることが出来る。冷静に見ることが出来なかったのは、対峙したルキアーノだけだろう。皆ルキアーノを思い面と向かって言いはしないが、流石のしつこさにアーニャの感情にもひびが入り始めた。
「ッ!」
首筋に当たる冷たい感覚に、眠そうだった瞳が少しだけ開かれる。背後から突き出されたルキアーノの黒と赤の暗器が太陽の光を受けきらりと不気味に光っていた。
「お人形はお人形らしく、従順でいればいいのだよ。ナイトオブシックス」
「……ラウンズ内の殺傷沙汰は、ご法度」
「知らないね。たとえそうだとしても、言えない様にするだけのことさ。女の扱いなら、心得はある。さあ、ナイトオブシックス。お前にとって大事なものとはなんだ?」
(……)
鋭い切っ先が、黒い騎士服を何度も突付き布越しに鋭利なそれが当たるたび、アーニャが不快そうな顔をするのを怯えていると判断したのか、ルキアーノの嗜虐心がどんどんと加速してゆく。
(……可哀想、ライ。いつも絡まれて)
実際はいつもこんな調子で絡まれているライへの同情心からなのか、表情があまり変わらないアーニャからその真意を知ることは出来ない。昼間からこの男に会って、不快すぎるこの刃物を突きつけられている時点でかなり不愉快なのも確かだが。
「命乞いはどうした、恐ろしくて声も出せないか?」
「日中から女性に刃物を突きつけて得意顔とは、名門ブラットリー家の名が泣くぞ、ナイトオブテン」
あと少しでアーニャの騎士服が切られるその直前、平坦な声が柱が並ぶ廊下に響く。逆行を背に現れた人物の名を聞くまでも無い。うっすらと形どっている光る毛先にすらりと伸びる体。風にマントを遊ばせ逆行から出てきたその人物は、ルキアーノのトラウマであり、アーニャが興味を抱いた人間でもある、ナイトオブサーティン、ライ。
「イレギュラーナンバーが……!」
「アーニャ、怪我は」
「……無い」
「そうか」
アーニャの首筋にあった暗器を素早くライへと投げつけると、ライはアーニャを見つめたまま顔だけを動かし難なく赤黒い暗器を避ける。派手な音を立て、柱に突き刺さり損ねた刃物がからからと床を転がり、滑る。
「この私がいつ得意な顔をしていた。口のきき方を知らない人間を丁寧に指導してやっていただけだろう」
「刃物を突きつけて口のきき方を、か……。名門と誉れ高いブラットリー家の次期当主がこれでは末路は見えたな」
「なんだと、貴様……」
「失礼、訂正する。名門は言いすぎた」
「イレギュラーが!!」
(……わざと、言ってる。ライ。苛々してる?)
いつもなら相手もせずにさっさと行ってしまうのに、今日のライは違う。かなり微かだが苛付いているようにアーニャには見えた。どちらかというと、ライがルキアーノに絡んで来ている気さえする。
「再戦を望むのならいつでもどうぞ、ルキアーノ。僕は逃げも隠れもしないし、ましてや同僚に武器を突きつけることもしない。アーニャ、こっちに」
手袋の裾を引っ張り、挑発をしてみせる。
ライの呼びかけにルキアーノの側を通り、アーニャがライの黒いマントの横に立つ。
「再戦? ああ、してやるさ。そして貴様が無様に倒れるところを見てやる。ライ、貴様にとって大事なものは何だ? 命だろう? その命が消える恐怖感を味あわせてやる!」
「大事なものが、命……?」
すい、とライの青い瞳が細められる。隣に立つアーニャは懐から赤い携帯電話を取り出し、フレームの中央に目を細め、薄い笑いを浮かべ始めているライの姿を捉えた。
「僕の大事なものは、命なんかじゃない。大事では無いが、ルキアーノにあげられるほど軽いものでもない。残念だ」
そしてシャッターを押す。
アーニャの携帯に映ったライの顔は、酷薄で冷たい微笑を浮かべていた。
更に噛み付いてこようとするルキアーノを振り切り、アーニャとライは宮殿の廊下を歩く。あの調子では近い内に正式にルキアーノからライに決闘状が送られてくることは明確だったが、今のライにそんなことは頭に無い。さっきからしつこく自分の後を追ってくる二人を振り払うので一杯だった。
「……ライ、怒ってる?」
「別に。少し周りが騒がしくて気が立ってるだけだ」
「……ジノ?」
「だけならよかった」
謁見の広間近くまで歩いていたライが足を止め、アーニャもつられて足を止める。いくらなんでもここならばあの大騒ぎは続かないだろうと判断した。中に皇帝陛下がいようが、いなかろうが謁見の広間の前で騒ぐ人間などいない。いないはずだ。
「ルキアーノは相手にするな。あれは誰にでも絡まないと気がすまない性質なんだ」
「してるつもり、ない。ルキアーノが勝手に……」
「大体何があったか予想はつくけどね。あのまま放っておいたらアーニャ、ルキアーノの事殴ってただろう?」
「……うん」
ライが割って入ったのが実はアーニャを助ける為ではなく、ルキアーノを助ける為だったことを当人は知らない。あのままルキアーノがアーニャに刃を突きつけ続けていたら、危なかったのはルキアーノの方だ。最年少ラウンズの名は伊達ではない。
ラウンズ同士の決闘状の無い殺傷沙汰はご法度、それはライもよく知っている事だった。思わぬ状況に出くわしたがこのままここで立ち話を続けていては折角振り切った追っ手に追いつかれてしまうかもしれない。ここは早く切り上げて、次の逃げ場を探したほうがいいだろう。
「じゃあ、もう行くから」
「……ありがとう。一応」
「何もして無い」
呟くアーニャに素っ気無く答え大きな一歩を踏み出し、そのまま足を進めようとしたライの動きが止まる。前方から、なにやら騒がしい声と共にブーツの踵を鳴らす音が聞こえてきていた。
「……最悪だ」
「……ジノと、えっと……ナイトオブセブン」
「ライ見つけ! おいスザク、ライだぞ、ライ!!」
「そんなに引っ張らないでくださ……首、首が絞まる……」
もう本当に、らしくない人助けなどするものではない。この日ほどライは余計な事をしてしまったと思ったことは無かった。

PR