花と花
芙蓉姫と花
三国志の世界とどこか似た世界に飛ばされてしばらく、成り行き上孔明の弟子となり、玄徳軍にいることになった普通の女子高生山田花は日々目まぐるしく変わる戦乱の時代に疲れを感じ始めていた。
本の力を借り夏侯元譲の軍を撃退し、最初は女だと侮っていた玄徳軍の将達もそれなりに花を認め始めた頃、気づけば人のいない所でため息をつくようになっていた。
(何やってるんだろう、私)
誰もいないのをいい事に壁に額を預け、今日一番大きなため息を吐き出す。
「花? こんな所で何してるの」
「わっ! って芙蓉姫?」
背中に突き刺さる声に壁から額を引き剥がし、きょろきょろと辺りを見回すと、腰に手を当て片眉を吊り上げている見た目だけはまさに美姫だがこの姫、将達に混ざり鉄扇を振るう勇猛さと強さを持ち合わせている玄徳軍の立派な戦力の一人だった。
花との初顔合わせはあまりよろしくは無かったが、夏侯元譲の軍勢を退けたのを機に軍にいる二人だけの女性と言う事もあり今では時間がある時は二人でいることが多い。主に芙蓉姫が目敏く花を見つけては引っ張りまわしているのだが。
「あ! あなたさては、またため息ついてたわね!」
芙蓉姫は目敏く花を見つけるだけでなく、少し様子が違うのも見過ごさない。彼女なりに花を気遣ってからの行動なのだが、いかんせん口さがない気が少しあるせいか名前を呼ばれる度に花は体を硬くしてしまう。偽物の優しさで接して欲しいとは言わないが、平和な世界からいきなり戦乱の世界に飛ばされた方の気にもなって欲しい。無論これは自身の我侭ではあるが。
「気持ちが落ち込んでる時にため息とかあなたどれだけ馬鹿なの。気持ちの切り替えぐらいさっさとしなさい! 辛気臭いったらありゃしない!」
花が何も言い返せない内に芙蓉姫は畳み掛ける。完全に萎縮してしまっている花はただ「……あ」や「うん……」としか返すことができない。これが芙蓉姫の口調を強くしてしまう原因の一つではあるのだが、湧き上がる不安や先日目の当たりにした人が次々と死んで行く様がどうしても頭から離れない。
「……もう。ちょっと一緒にいらっしゃい」
「え、何? 軍議ならしばらく無いって玄徳さん言ってたよ?」
「違うわよ、軍議の呼び出しなんかじゃなくて。そうじゃなくて……。いいから、いらっしゃい!!」
首を傾げ芙蓉姫の真意を問おうとする花に、苛々しているのかそれとも別の理由からなのか芙蓉姫の色白の肌が朱に染まる。手首を掴み、今花が来ていた道を戻り始めずるずると引きずられ連れて行かれた先は――。
「私の部屋……」
さっき出てきたばかりの、花自身の部屋だった。
見慣れた寝台、卓、椅子。ぐるりと部屋を見回すと、出てきた時と違う所が一箇所だけあった。
「あれ?」
卓の上に何か乗っている。
朝餉はとっくに食べたし、食器も取りに来てもらっているし、卓には何も乗っていないはずなのだが、何故か茶器一式が乗っていた。もしかしたら使用人が持ってきてくれたのかもしれない。そう考えていると、部屋の主より先に入っていた芙蓉姫が掴んでいた手を離し、腰に手を当て振り返る。
その顔は、まだ怒っているようにも見えた。
「ああ、折角熱いのを持ってきてもらったのにもう冷えちゃってるじゃない。仕方ないわね、誰かに替えを持ってきてもらわないと……って花、何してるのよ。そんな所に突っ立ってないでさっさと座りなさいよ。ここ、あなたの部屋でしょう?」
「ちょ、ちょっと芙蓉姫……」
てきぱきと使用人を呼び、花が数々の疑問を投げかける隙も与えずに気がつけば芙蓉姫と向かい合う形で椅子に座っていた。落ち着けたのは、茶器から花の香りがする頃だった。
「うん、やっぱりこのお茶が一番だわ」
「あの……」
「何よ」
すっかり芙蓉姫のペースに巻き込まれっぱなしだったが、彼女が一息ついたのを見計らい花が声をかける。するとさっきの怒り顔は消えたが、まだ少しだけ不機嫌な芙蓉姫が茶器を持ったままこちらを向き視線を真っ直ぐに花へと向ける。
「芙蓉姫、どうして私をここに連れてきたの? あとこのお茶は誰が用意したの? それと、何か用事?」
疑問に思ったことを一気にぶつけてみる。もう少し考えて質問すべきかとも思ったが、色々疑問が重なり今の花の頭では整理して一つ一つを聞くことはできそうになかった。
一気に花の質問を受けた不要姫は、茶を一口飲み満足そうに息を吐くと質問の一つ一つの返答を始める。
「ここへ連れてきたのはお茶をしようと思ったから。このお茶を用意したのは私。用事は……」
すらすらと花の質問に答えたが、最後の質問『何か用事?』の答えには詰まってしまう。答えにくい、と言うよりは何だが答えるのが恥ずかしいと言うのが合うように芙蓉姫の色白の頬に朱が走り言いにくそうに口をもごもごと動かし、まだ熱い茶を一気に煽ると意を決したように答えを口にした。
「あ、あなたが元気なさそうだったから……。ど、どうしたのかなって気になってお茶飲みながらだったら話してくれるかなって……って! そんなことはどうでもいいのよ! 私のことじゃなくてあなたこそどうしたのよ!!」
言っていて本当に恥ずかしくなったのか空になった器におかわりを注ぎながら芙蓉姫が話題を無理やりに切り替える。怒涛の芙蓉姫の言葉に押されながらもお茶に口をつけていた花が急に話題を変えられ今度は花が言いよどむはめになった。
同じ女性とは言え芙蓉姫は立派な玄徳軍の戦力の一人であり、この世界の住人でもある。その芙蓉姫に、今が不安、戦が怖い。人が死んで行くのが怖いなどと言ってもいいのだろうか。
他の人間が聞いたのならば、何を甘いことを。今は戦乱の時代なのだから人が死ぬのは当たり前だと言われてしまいそうで、なかなか聞かれた事を答える事ができない。
あまり知らない人間にそう言われるのはある程度覚悟出来ているが、知っている人物、しかも仲良くしている芙蓉姫に言われてしまうと辛いと思ってしまう。
「ちょっと、色々考えちゃって。あ、軍議の事じゃなくてね。個人的な事だから玄徳軍にとって悪いこととかそういうわけじゃないから」
もしかしたら彼女は自分がため息をついているのを、軍議の事で悩んでいるのかもしれないと思ったのではないか。そう考えた花が手を胸の前で軽く振り、別にたいしたことではないと振舞おうとするが花が言葉を紡げば紡ぐほど、一旦は落ち着いてた芙蓉姫の顔が再び怒りの色に染まり始めた。
「そうじゃなーーーーーーーい!!」
「わっ!!」
「私が聞いてるのはそういうことじゃないわよ! 別に軍議の事とかまっっったく気にしても無いわよ! 微塵も! 私が聞きたいのはその『色々考えちゃって』って言う所の部分。どうせあなたのことだからくだらないことなんだろうけど、それでもあんな元気の無い顔されたら気になるじゃない。いいからその個人的な事を話しなさい!」
卓に両手を叩き付け、芙蓉姫が身を乗り出し正面に座る花に迫る。眼前まで顔を近づけられ、目を開いて芙蓉姫の顔を見ると、怒りの中に本当に花を心配している色を見つけた。
(芙蓉姫、心配してくれてる?)
言い方はきついが、確かに芙蓉姫の目の中には心配そうな色があった。
お茶の力もあってか、先程までせりあがってきていた不安が少し落ちていくのを感じ、少しだけ落ち着いてきた花は聞き取れるかどうか分からないぎりぎりの声でぽつぽつと話し始める。一度口から出た不安は怒涛の勢いで花の唇から零れていく。
これからここでやっていけるのかや、このままここにいていいのか、そして――これから先起こるであろう戦いへの不安をも口にしていた。
話を続ける中、芙蓉姫は一切口を挟まずじっと花の言葉に耳を傾けてくれていた。そして溜めていた不安すべてを花が吐き出し終えると、残っていた茶を飲み干し器を卓に戻した芙蓉姫が呆れたようにため息を一つ零す。
「……本当、馬鹿な子」
「うっ……」
全く持ってその通り。何を甘いことを自分は言っているのだろう。孔明の弟子として玄徳軍に置いてもらい、本の力を借り敵を退け孟徳軍に甚大な被害をもたらした自分が本当に、何を馬鹿なことを言っているのだろう。
不安を全て吐き出し、冷静さを取り戻した花だったが、次に残ったのは喋ってしまった後悔だけだった。
「もっと早く私に言えばいいのに」
「――え?」
胸の中が後悔一色に染まりそうななった瞬間、ぽつりと芙蓉姫がつぶやいた言葉に花は顔を上げる。怒っていると思い込んでいたが、花の目に映ったのは悲しそうに笑う芙蓉姫の顔だった。
「そういう不安だとか、悩みだとか私に言えばよかったのに。そんなことに気づけなかった私も私だけど、話してくれなかったあなたもあなたよ。本当に馬鹿な子」
「で、でも芙蓉姫は玄徳軍の一員で、こういう戦いとかは日常茶飯事で……。私の不安とかそういうのはくだらないって……」
「言わないわよ! ちょっと、あなた私をどんな人間だと思ってたのよ!」
しんみりとした空気が一瞬にして熱を帯び始めた。
「確かに最初は辛く当たったりもして話しにくかったって言うのも分かるけど、でもあれから色んな所一緒に行ったわよね!? 色々話したりしたわよね!? だから今日だって一緒にお茶でもと思ったらあなた廊下でこの世の終わりみたいな顔してるし、すぐ話してくれるかと思ったら変に誤魔化そうとするし! もうなんなの! 仲良くなってきたって思ってたのは私だけだったわけ!?」
「ふ、芙蓉姫、お、落ち着いて!」
「落ち着けるわけないじゃない! いいこと、花! これからそういう玄徳様達には相談出来ないようなことは全部私に言いなさい! 変な遠慮とかしたら許さないわよ、いい!?」
最後の追い討ちとばかりに卓に芙蓉姫の腕が叩き付けられ、部屋に大きな音が響くと無意識に背筋を伸ばした花は反射的に「はい!」と返事をしてしまう。
やり方は強引だが、芙蓉姫は芙蓉姫なりに自分のことを心配してくれたのだ、今ならそれが分かる。
「芙蓉姫」
「何よ!」
「……ありがとう」
「なっ!」
言い返されると思っていたはずなのに、返ってきたのは心底嬉しそうな顔をした花で。それを見た瞬間、返すべき言葉を芙蓉姫は失った。

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