さっきまで暖かかった右手がとても寒く感じる。繋がっていた指先があいつの、李子の指を探して彷徨っている。夏、李子に誘われた花火大会。予想通りの人 混みにはぐれないようにとどちらと言わず手を繋いだ。真夏の蒸し暑い気温の中でも、繋いだ手の温かさは不快じゃない。むしろ繋いでいない方が不快になる。
「李子……!李子!!」
喧噪の中声を張り上げてもすぐに消されてしまう。耳を澄ましても李子の声が聞こえない。手が、寒い。
浴衣を着ているのも構わず走り出す。人にぶつかって文句を吐き捨てられたって構わない。俺には今、李子しか見えてない。
人の波と逆送する形で波を上がっていく。両側にある屋台にも目を向けながら、白い浴衣の李子を探した。
もうすぐ花火が始まる。だけどそんなことどうでもいい。花火も李子が隣がいないと意味が無い。
どこ行ったんだよ……
人の波を抜けてやっと開けた所に出た。すぐに、名前を呼んだ。だけど……居ない。あいつが居ない。
右を向いても、左を向いても何処を向いてもあいつがいない。途端に不安になる。傍にあいつがいて、隣で笑って俺の名前を呼んでいるあいつがいない。
「李子!!」
似ている後ろ姿を見つけて後先考えずに肩を掴む。髪を揺らして振り向いた顔は、あいつじゃなかった。
「あ……」
「うそ…っ!葉月珪?!」
俺の顔を知っているヤツ。でも俺は知らない。ファインダーの向こうの俺しか知らない女。違う、李子じゃない。李子は……俺雑誌の俺を見ても、本物の俺も 見ても驚いたりしない。
肩を掴んだ手を離してすぐに人の波に戻る。後ろで女が騒いでたけど、気にならなかった。俺が探してるのはおまえじゃない。
俺より小さい姿を探しながら人の波をかき分けていく。ふと、人の波が止まった。
花火だ。
夜空に大輪の花を咲かせて綺麗だと言っていたあいつの顔が浮かぶ。浴衣を着て片手にりんご飴を持って何度も何度も綺麗だと繰り返してはしゃいでたあい つ。俺は、その横顔に見とれていた。
あの顔が、見たい。あの微笑みが、見たい!
人の波を抜けた所で、海の向こうに見える大観覧車が目に入った。
もしかしたら
もしかしたらあそこにいるかもしれない。
何の確証もない。勘だけ。あいつがあそこにいる気がした。大観覧車の前で、寂しそうに俺を探している姿が目に浮かんだ。
行かないと
海の向こう側にある大観覧車。ライトアップされて彩られた観覧車の下に、あいつはいるのだろうか。このまま飛び込んで泳いで行ったらすぐにつくかもしれ ない。夜の海を睨み付けながらぐるりと回ってコンクリートを蹴って走る。
近くに行くと巨大な観覧車が俺を見下ろす。まだ見つけられないのかと馬鹿にされているように思った。
(……李子……!)
淡い光をバックに李子がいた。俯き加減で顔は少し寂しそうで。
その顔を見てたら居ても経っても居られなくなった。走り出して、足音に気が付いてあいつが顔を上げたのを見た。途端瞳が潤むのが見えた。足を進めるス ピードを速めた。あいつも、走り出す。慣れない浴衣で転びそうになりながら必死で。
……いや、必死なのは俺の方かもしれない。あいつが離れてしまって落ち着いて探すことも出来ずにただ必死に、がむしゃらに走り回っている俺の方が、必死 だった。
足が絡まって転びそうになるあいつの下に潜り込んで抱き留める。
「……李子!」
そのまま抱き締めて、強く抱き締めて。あいつの手がゆっくりと背中に回って小さな掠れた声で
「良かった……」
呟いた。
また、離ればなれになるのかと思った。望んで、望んで、手に還って来たものがまた離れて行ってしまうのかと思った。存在を確かめるようにきつく抱き締め る。李子は、ここにいる。離れていない。ここにいる。
弱くて、情けなくて、自己嫌悪に陥る時いつも傍で笑っていてくれる。寂しい時に電話をくれる。二度と望むまいと思っていたものを溶かしてくれた。依存し そうな自分を嫌悪しながらも、そんな自分が愛おしく想い始めた。
「探した……」
「ごめんね」
「探した……」
「ごめんね」
「……良かった」
「うん」
必死で探して、望んで、手に入る喜び。微笑んで、触れて、抱き合って伝わる暖かさと気持ちを知った。
今年の花火は一緒に見られなかった。けれど、花火よりもっと大切な何かを俺は、取り戻した。
大観覧車の明かりが、海に映って大輪の花に見えた。
自分が強く抱き締めた分だけ返してくれる、腕の強さがこんなに嬉しいものだなんて知らなかった。
2002.0629
