後にも先にもあの時ほどHAYATOを憎んだ事は無い。
まさか愛しい彼女の大好きなものが自分が演じているHAYATOだなんて、なんて運命だろう。
「HAYATO様に憧れて、HAYATO様の曲をいつか作りたくてこの学園に入ったんです!」
「…………」
「HAYATO様にはずっと元気をもらってました!」
「………………」
思い出せば思い出すほど一ノ瀬トキヤの頭が重くなっていく。自分で言うのもなんだがあの軽薄な男の一体どこがいいのだろうか。仮想アイドルプロジェクトとして性格、スタイルなど何から何までを作られたHAYATOを彼女は大好きだと満面の笑顔で言う。ただ一つトキヤが絶対に譲れなかった一線、歌に手を抜かないということすらもさせてもらえなかったHAYATOを。
あまりに嬉しそうにHAYATO――トキヤ――の事を春歌が話すので、二人で部屋にいる時にふとトキヤは尋ねてみた。
「私とHAYATO。どちらが好きですか?」
と。
われながら馬鹿げた質問だとは分かっている。何せHAYATOもトキヤも同一人物なのだ。どちらが好きなどと聞くのは愚の骨頂なのだが、今の、春歌に完全に惚れてしまっているトキヤにとっては自分自身とHAYATO、そのどちらが好きなのかは重要なことだった。
「HAYATO様は私の憧れです! 一ノ瀬さんはその、ええと……大好きな私の……恋人、です……」
真っ赤になって俯いてしまった。
トキヤも春歌がこう答えるのは分かっていた。何しろ彼女は今、自分の、一ノ瀬トキヤの恋人なのだから。分かっていてもこの照れてしまって、それでもこちらが尋ねたことにちゃんと答えてくれる春歌が愛らしすぎてトキヤは春歌を抱きしめる。
きゃ、と言う驚いた声が聞こえた後、そっと背中に腕が回る。それだけでもう、トキヤの頭の中の何かが焼き切れそうになるのを必死で止めた。
「ど、どうしたんですか一ノ瀬さん」
「トキヤ、でしょう? 春歌」
「……ト……ト、キヤ、くん」
お互い名前で呼ぶことに大分慣れてきたつもりだったが、春歌は何かの拍子で苗字に戻ってしまう時がある。その度にトキヤは耳元で、春歌が忘れないように自分の名前を呼ぶように囁く。
一体誰が予想できただろう。鉄面皮、自分にも他人にも厳しいあの一ノ瀬トキヤのこんな変貌ぶりを。あの一ノ瀬トキヤが感情の赴くままに春歌を抱きしめ、キスをし、髪を梳く。クラスメイトが見たら彼は双子ではなく、三つ子だと思うほど初期とのトキヤとは別人だった。彼の性格そのものが変わったわけではなく、元々情熱的な性格ではあったが、それが表に出ることは無かった。それを引き出したのは初恋と、歌への執着。
抱きしめている春歌の体がどんどんと熱を帯びていく。顔を見ずとも分かる、きっと真っ赤になってどうしていいか分からない顔をしているに違いない。
そんな顔を想像するだけでトキヤの頭の中の何かがまた切れそうになっていく。
「愛していますよ、春歌」
「わっ……わた、わたし……」
「うん? なんです?」
「私もあ、愛……」
腕の中にいる春歌の体がまた熱くなった。自分が言葉を紡ぐたびに春歌の体温が上がっていく、その感覚がたまらなく愛しい。
肩の上で切りそろえられた髪を一房取り、口付ける。彼女の目も髪も、唇もその全てが愛しい。愛しくて仕方が無い。
「愛してます!!」
胸から顔を上げた春歌が予想通り真っ赤な顔でトキヤを見上げ思いのほか大きな声で愛していると言うと、トキヤが必死に止めていた何かの切れる音がした。
「君は本当に……」
目を細め、大きく目を開く春歌の眦を親指で優しく撫でながらトキヤが吐息のような声で呟き、その頬に唇と落とす。わざと音が聞こえるように音を立て、真っ直ぐに春歌を見つめると呆けた顔の愛しい人がそこにいた。
あとはもう、することは決まっている。
額、瞼、頬、耳、そして唇。あらゆるところにトキヤはキスを降らせ春歌の思考を奪って行く。全て奪った後、春歌を抱き上げ寝室へ向かって存分に彼女を愛そうと思った。
「~♪」
はずなのに。
それを壊す音が響く。誰の携帯か聞くまでも無く、この曲は嫌という程知っている。
「あ、電話!」
HAYATOの曲を着信音にしているのは春歌の他にいない。トキヤの腕からするりと抜けた春歌はソファに置いてあるカバンから携帯を取り出し、通話ボタンを押す。
相手はどうやら社長のようで、一言二言交わすと電話を切った。
「早乙女社長からですか?」
「はい。ドラマのBGMのお仕事を頂きました!」
嬉しそうに答える春歌とは正反対にトキヤの声は沈んでいた。これからおきるめくるめく春歌との夜をぶち壊してくれたのは、やはりHAYATOだった。本当は早乙女なのだが、トキヤにとってはHAYATOの方が何十倍も憎い。彼女との愛の時間を壊したのはまぎれもなく奴だ。
先程までの甘い雰囲気などどこへやら。仕事モードに入ってしまった春歌は部屋にあるピアノへと向かい、こちらを向いてはくれない。
(HAYATOめ……許しませんよ)
自分がHAYATOだと言うことも忘れトキヤは思いつく限りの毒をHAYATOに向け心の中で吐く。この湧き上がった熱を、行き場のない彼女への想いを一体どうしてくれるのか。
トキヤの長く辛い夜が始まろうとしていた。
20110817

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