出来れば辞退したかったナイトオブセブンお披露目の御前試合だったが、結局ベアトリスに強く出るように言われまさに渋々といった様子でライは御前試合の行われる闘技場の隅に椅子に座る事無く、黒いマントを隠れ蓑にするようにひっそりと壁に背を預け徐々に興奮に包まれる人々を冷めた目で見つめていた。
経歴や名前も発表されたらしいが興味は無いし、自分にも興味も持って欲しくない。それにはどうしたらいいか? 簡単だ。他人のまま、知らない人間のままいればいい。幸いにも自分はあまり知られることの無いラウンズであり新入りのナイトオブセブンも自分を知ることは無いだろう。
ちらりと隻眼の騎士、ビスマルクが咎めるような視線をこちらに投げかけてくるが、腕を組んだままそれをやり過ごす。参加はしている、だから文句を言われる筋合いは無いと言わんばかりの態度に厳しい顔が更に厳しくなるのを何も映さない青い瞳を横へとずらす。
「ライ」
「……これは……カリーヌ皇女殿下。ご機嫌麗しく存じます」
影に隠れるようにしていたライを目聡く見つけた第五皇女カリーヌ・レ・ブリタニアがウサギの耳を思わせる二つに結った髪を揺らしながら嬉しそうにこちらに寄ってくる。あまり見つかりたくない人に見つかってしまった。決して表には嫌な顔を見せず膝を折り騎士の礼をするライに満足そうに頷いたカリーヌはこの十三番目の騎士、ライがお気に入りだった。
銀灰の髪に白い肌、海の色と同じ青い目に決して崩れる事の無い人形を思わせる表情に優雅な立ち振る舞い。絵画から抜け出て来た感じすらする無機質な騎士を上から下まで眺めたカリーヌは、ライが立ち上がるのを待つ。
「ねぇ、知ってる? 今度入るナイトオブラウンズ、ナンバーズ出身なのよ」
「イレヴン、ですか」
「ナンバーズがお父様の騎士だってだけでもとんでもないけどしかもイレヴンだなんて」
「イレヴン……?」
「そうよ、信じられない! 今日の御前試合でナイトオブスリーと戦うみたいだけど、ナンバーズなんて滅茶苦茶にされちゃえばいいのよお父様の前で無様に負けて取り消されちゃえばいいんだわ」
幼さ故の残酷さか、生粋のブリタニア人である皇族であるカリーヌ言っている事は、この場にいる皇族や貴族達誰もが思っている事だろう。ナンバーズであるだけでも前代未聞だと言うのに『あの』エリア11出身となれば嫌悪感や恐怖感が口から出てしまうのも無理は無い。
「大体ナンバーズなんて……」
「皇女殿下、そろそろ試合が始まります」
「どうでもいいわ、試合なんて。どうせナイトオブスリーが勝つもの」
「カリーヌ皇女殿下」
「でも、どうしてもって言うなら。ライが席まで連れて行ってくれるなら、戻ってもいいわ」
「……イエス、ユア・ハイネス。喜んで」
試合の始まる合図が闘技場に鳴り響く中、当たり前のように手を差し出して来たカリーヌの手を取り席までエスコートした。カリーヌが席に座り、その場を離れようとした時会場内にやや興奮した審判が中央に進み出ると円形の闘技場をぐるりと見回しこの役を与えてくれた皇帝陛下に感謝を、などと賛辞を述べマイクを掴みなおし大きく息を吸い込むと高らかに叫ぶ。
「宮中御前試合を開始致します! 右、ナイトオブスリージノ・ヴァインベルグ卿と愛機トリスタン!」
空中に溜まっていた興奮が爆発し、怒号にも似た歓声が闘技場を包んでいく。戦いとは無縁の場にいる貴族達にとってこれほど刺激的な催し物は無いのだろう。戦場に立つ事に慣れているライとしては何がここまで人を興奮させるのか分からない。
(人が死ぬわけでもあるまいに、本当に暇だな。貴族様とやらは)
カリーヌに手を掴まれたまま、冷たい視線でスポットライトの中に立ちトリスタンのコックピットから姿を見せたジノが皇帝に騎士礼をした後笑顔で観客に向け手を振ると、会場の空気が更に湧き上がる。若くしてナイトオブラウンズに上り詰めたジノが実は名門貴族の出だと言う事は知っていたが、彼の人気がここまでとは知らなかった。カリーヌもジノの登場に興奮気味ではあったが、それでもこの歓声の中こっそりと――。
「あそこにいるのがあなただったら良かったのに。どうしてベアトリスはナイトオブスリーにしたのかしら」
「……首無し騎士が相手では、折角の御前試合も台無しでしょう」
「あら、デュラハンがナンバーズの相手だなんて素敵だと思うけど」
本当にそう思っていそうで困るが、そんな事をベアトリスが、ビスマルクが許さないだろう。一応は新たなるラウンズの誕生を祝う催しに不吉な数を持つ騎士が出てくればこの興奮は起きない。
「続いて左、新たなるラウンズ、ナイトオブセブン、柩木スザク卿! 愛機はランスロット!!」
爆発を繰り返していた興奮が、ここに来て一気に冷める。ナンバーズ出身で、あのユーフェミア皇女の専任騎士だった男を誰も歓迎などしない。ここにいる全ての人間がそう言っているように思える中、ただ一人ライだけは広場へと出てきたナイトメアフレームと、コックピットから顔を覗かせる男に息を呑んだ。
(まさか……)
茶色の癖のある髪に、緑色の瞳。歓迎されていない空気の中ただ真っ直ぐにジノを見る顔はライが知っていた優しい顔とは違い、精悍な騎士そのままの表情を持っているようだった。
ライが驚いているのとは違う意味で、ジノも姿を見せた新たなるラウンズに驚いていた。出自云々は横に置いておくとして、その見た目の若さに。そしてちらりと観覧席にいる、離れたこの場所からでもすぐ見つけられる銀灰と黒を探し自分と同じように驚いているライを見つけた。
(さすがの仏頂面も驚くか)
自分と同じく驚いている様子のライにジノは嬉しそうに口の端を吊り上げるが、驚いたと言うより信じられないものを見る目でスザクを見つめているライにジノは不思議そうな顔でライが初めて見せた感情のある顔を見つめ続けた。
息を呑んだライが、唇だけを動かし何かを言っている。この興奮の嵐の中耳にライの声が届く事は無いが、唇の動きで何を言っているかは大体分かる。
(なに? ど、う、し、て、スザ、クが……?)
微かに動いた唇は、はっきりとそう言っていた。青い瞳はランスロットの騎手に釘付けのままライが、そう言っている。
(知り合いか? ライの)
ジノと同じく、皇帝に一礼をする柩木スザクがこちらを振り向き胸に手を当て頭を下げる。中々真面目そうな感じは好印象ではあるが、それとは別に気に入らないと言う思いがジノの胸に走る。原因は、ライの変化が引き金だろう。いつも仏頂面で、笑った顔など一度も見せたことの無いライが、あのイレヴンを見て驚いている。子供じみた嫉妬ではあるが、友達が取られたような感覚がそこにあったのかもしれない。
「ヴァインベルグ卿?」
通常ならば皇帝に一礼した後は騎士道精神に則り互いに一礼し、試合を始めるものなのだが、礼をするスザクと違いジノはいつまでたっても胸に手を当て頭を下げる事をしなかった。
「悪いけど礼は返さない。これから叩く相手に払う敬意は持ち合わせてないんだ」
外部スピーカーのスイッチを入れ、会場中に、ライに聞こえるように言い放たれた言葉に会場は更なる歓声をジノへと浴びせる。完全にここはスザクにとってアウェイ、味方等誰一人いない状況になっていたがジノの言葉を聞いてもスザクは顔色一つ変えずにただ静かにこの場に立っていた。
(可愛くないな、ちょっとは怯えたり動揺したりすると思ったのに)
気分は後輩いびりをする先輩だが、皇帝に対し不敬とも取れる態度に周りが一時騒然となったがベアトリスから発せられる皇帝が認めたとの言葉に新たなる興奮が会場に充満し始めてきた。
「そうよ! やっちゃえナイトオブスリー!」
皇族席に座るカリーヌも興奮に当てられてか拳を突き上げジノを応援する気満々だ。ライの黒い手袋のはめられた手を離す事無く二体のナイトメアがぶつかっては離れていく様を大きな瞳で追っていく。腕をつかまれたままのライはまさかの状況に掴まれていない反対側の腕で自らの胸倉を掴む。
心臓が早鐘を打つ。背後からどうしようもない恐怖感にも似た動揺が襲ってくる。どうしてスザクがこんなところに、ナイトオブラウンズの闘技場に。分かっている、彼がナイトオブセブンなのだ。カリーヌからイレヴン出身と聞いた時に分かっていたはずだったが、ライはその事実を受け入れる事を拒否していた。
「ぅ、あ……ッ!」
早鐘を打ちすぎ暴れだす心臓を押さえるために強く自分の胸倉を掴みその痛みから逃れようとするが、一度暴れだした鼓動を中々収めることが出来ない。抑えれば抑えようとするほどあざ笑うかのように鼓動が内側からライを破壊しようとする。
冷たい顔の、感情の薄いライを食い破ろうとする。
優しい思い出は、学園を出るときに全ておいてきたはずなのに。ここにいるのは、人形のようにただ言われた事をこなすライのはずだったのに。
スザクの存在が、そんな自分を破壊しようとしている。
「ライ? 大丈夫、ねえ?」
カリーヌの席のすぐ隣でしゃがみこんでしまったライの異変に気づいたカリーヌが心配そうに顔を覗き込もうとするが、さらさらと銀灰の髪がそれを拒み今ライがどんな顔をしているか分からない。
「何も、問題ありません。少し、この熱気に当てられただけです」
俯いたまま必死に『いつもの』ライの仮面を被りカリーヌに答えると、そう? といいつつ湧き上がる会場が気になるのかカリーヌはトリスタンとランスロットの試合へと視線を向ける。あまりこちらに意識が集中しないのは今のライにとって助かる。はがれかけた仮面を再び被るまで、少し時間が掛かりそうだったから。
試合など、見ている余裕など何処にもなかったし、見たいとも思わなかった。ただこの場から一分でも、一秒でも早く逃げたい。スザクがいる、この場から。
トリスタンとランスロットの御前試合は大いに盛り上がり、結果は両者相打ち。新入りで完全アウェイなこの状況で動揺一つ見せずあのジノ・ヴァインベルグと相打ちという結果を見せられてはいくらナンバーズ出身で蔑視していたとは言え実力は認めざるえない。それはジノも同じだったらしく、次第にこれが試合だったと言う事を忘れ心の底からこのナイトオブセブンとの戦いを楽しんでいる自分がいた。こんなに楽しいと思える戦いは、ライと戦った時以来かもしれない。
試合を終えた騎士の乗る機体二体が格納庫に運び込まれ、一応のメンテナンスを受ける。見た目にはどこに損傷もないように思えたが、念には念を入れる。それが柩木スザク准将付きメインオペレーター、セシル・クルーミーの信条だった。
彼女から見れば、あの試合はスザクらしくない。大方最初にジノに挑発され頭に血が上ったのだろうがそれにしてもかなり危ない戦いであったのは確かだ。結果は引き分けとお披露目式にしては良かったが、それでも危なかったことに変わりは無い。
「どっちも手加減。……つまんない」
「きゃっ!」
「アールストレイム卿!?」
一体いつからいたのか、格納庫に小柄な少女がぽつりと呟きながら格納庫に並ぶナイトメアをの前を歩きながらじっとスザクの緑色の瞳を見据えながら近づいてくる。
突然登場したナイトオブシックスにセシルは慌てて頭を下げ、スザクもそれに倣い胸に手をあて頭を下げる。
「あなたもラウンズ。礼はいらない」
あっさりと、突き放すように言ったアーニャは先程までジノと互角の戦いを見せていたランスロットを見上げ、主の了承も受けずに携帯を掲げるとぱちりとその白い騎士をカメラに収めた。
「……イなら、手加減なんかしなかった」
「え?」
かき消されそうな声でアーニャは呟き、傷一つ付いていないランスロットを複雑な顔で見上げたまま顔を動かさなかった。もし相手がライだったら、このランスロットも無傷では済まなかっただろう。彼は字ののように優しくは無い。特に戦闘においては。確か、ライのお披露目式の相手はルキアーノだった。何故かライの時は賓客は入れず、皇帝と皇族の一部、そして自分達ナイトオブラウンズだけで行われたがその時の試合をアーニャは今も忘れる事は出来ない。ブリタニアの吸血鬼と呼ばれ、恐れられているナイトオブテン、ルキアーノ・ブラットリー相手に一歩も引かず、それどころか腕一本を持っていったあの鬼気迫る戦い方は、今までアーニャが見たことの無い戦いだった。表向きには公表されていないが、ライの圧勝でこの試合は終わった。
これが原因で事あるごとにルキアーノはライに絡んでくる事になるのだが、本人は相手にする気が無いのかそれとも終わったことだと切り捨てているのか執拗なルキアーノを相手にもしていない様子だった。
「あの、アールストレイム卿。今なんて……」
「いたな、新入り!!」
アーニャが呟いた人物の名が気になり、もう一度聞きなおそうとしたスザクの耳に底抜けに明るい声が飛び込んでくる。先程までナイトメアで戦っていた、ナイトオブスリー、ジノだ。
試合前の嫌味はどこかへ置いてきたのかにこにこと機嫌のいい笑顔のまま近づいてきたジノは「いい試合だったよな!」と呑気な事を言いつつ、何を思ったのかスザクの肩に腕を回し首を抱え込む。
「え、あの?」
自体の飲み込めないスザクと同じく、セシルも驚いた表情を見せているがアーニャだけは慣れたジノのコミュニケーションの手段にランスロットを撮影したカメラを動かし、呆気に取られているスザクと満面の笑顔のジノを記録する。
「新入りの歓迎! 歓迎と言えばなんだ、アーニャ!」
「……パーティー?」
「そう! パーティーだ! これから『スザク』の歓迎パーティーをするぞ! ブリタニア料理、食べたことあるか?」
「あ、あのヴァインベルグ卿。自分は――」
「堅い呼び方するなよ。ジノでいい。ラウンズには番号の順番はあっても、身分の上下は無い。まあ、順番から外れてる奴もいるしな」
「……ライの事?」
「ライ……って、まさか。あの、アールストレイム卿」
「……なに?」
『ライ』の名に強く反応したスザクがジノによって阻まれた質問を再度口にしようとした時、格納庫の入り口に一つの影が立つ。
「…………」
その影はこちらに近づいてこようとはせず、入り口に立ったまま一言も口を開かない。悟られないようにはしているがスザクがこの声が自分がよく知っている人間だとすぐに気づいた。逆行で姿こそ見えないが、影の中で薄っすらと光る銀糸にも似た髪とすらりと伸びた手足。あんな色、見間違うはずは無い。
「ライ……?」
ジノとスザクの声が重なり、入口に立つ影が一瞬体を震わせるが何事も無かったかのように、影は背中を向け消えてしまう。慌ててスザクは影を追おうとしたががっちりと首をジノに捕まえられて下半身だけが前に行き上半身がその場に留まってしまい後ろに倒れそうになる。
「おいライお前も……って早! 本当に相変わらずすぎだろ、あいつは」
驚いているセシルやスザクと違い、すっかり素っ気無い同僚の態度に慣れてしまっているジノは苦笑いを浮かべるだけでこちらを無視した形になった影を責めはしなかった。
「まあいいか。ラウンズになったんだし、嫌でも顔合わせることになるだろ。それより歓迎パーティだ! 料理はうちの料理人に準備させてるから、期待してていいぞスザク!」
(まさか、本当に君なのか。ライ……)
幻影のように現れ、消えていった特徴的な影がいた場からスザクの視線が離れたのは、ジノに引きずられるように歓迎会へと連行された時だった。ジノ主催の歓迎会にも、スザクの頭一杯に広がっていた影は姿を見せない。

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