「葉月くんが病気で休み?!」
いつまで経っても来ない席の主が来ない理由を聞いて鷹谷が驚く。無欠席の葉月が、学校を休んだ。欠席理由は風邪。本人が声を枯らしながら電話をしてきた らしい。
「で?で?大丈夫なの?葉月くん、大丈夫なの?」
「知らないよ~大体アタシは葉月とはクラス違うし。って言うかクラス同じなのはアンタでしょ。ヒロムッチに聞いてみれば?」
「聞けると、思う?」
氷室の顔を思い浮かべる。
「……無理だねぇ」
「でしょ?」
氷室のあの顔を思い浮かべてあっさりと藤井が言う。
確かに氷室に葉月の容態など聞いても教えてくれるはずもない。その前に深くは知らないだろう。
葉月は外国で暮らす両親と離れ一人日本で生活している。一軒家に住んではいるが、独り暮らしなのである。独り暮らしの病気と言うのは非常に辛いもので、 看護する人間もいないので全て自分でまかなわなければいけない。しかし病気の、だるい体で何が出来るはずもなく、大抵はこんこんと眠り続け無理矢理に治 す。食事を取らなくてはいけないので薬も飲めない。その前に家に風邪薬があるかも謎だ。
ベッドに横になり、赤い顔で眠る葉月の顔を想像し、顔を青くする。家族がいるならともかく、誰もいない家で独りでいる。
想像が膨らみどんどんと悪い方へと考え出す。居ても経ってもいれられなくなり、学校が終わってすぐ、近くのスーパーで食材と、薬局で風邪薬を買い葉月の 家に走った。
この日受けた授業の内容は鷹谷は全く頭に入っていなかった。
吸い込む息が熱い。喉を通り肺に吸い込む空気が熱を帯びて苦しめる。咳き込むたびに喉が焼けて体温が上がっていく気がする。原因は昨日森林公園で行った 春物の撮影。まだ一月だと言うのに薄手の服を着て歩き回ったのが原因。前々から寒いから嫌だとは思っていたが仕事なので仕方ない。汗でじっとりと濡れた体 のままベットに沈んだまま苦しい呼吸を繰り返す。
やっとの思いで学校に連絡はしたものの、それで力尽きベットに戻りもう起きあがれなくなった。昨日からベットサイドに置いてあるスポーツ飲料以外は口に していない。空腹感が無いわけではないが、作ることが出来ない。出前を取ろうにも掠れた声では伝わらず、来たとしても出れない。しかもそこまでしてまで食 べたくもない。
万事休す。
(……きつい)
額に手を当て熱を確かめようとするが、体全体が熱くなっている手では自分の熱を計ることは出来ない。だらりと腕を下ろしそのまま動かない。体は重くて既 に感覚が無くなり始めているが、思考だけはよく動く。いくら昼寝が好きだと言う葉月とは言え、自分から好んで眠るのではなく無理矢理押しつけられたように 訪れる眠りはあまりいい気持ちはしない。
「李子……」
つい愛しい人の名を呼ぶ。
食べることを忘れても、鷹谷の声、顔は忘れない。再び訪れようとしている押しつけられる眠気に落ちながら熱い息を吐きながら、葉月は再び眠りに落ちた。
布団からだらりと腕が落ちたまま動かなくなった。
再び葉月が意識を浮上させたのは、熱いはずの体に冷たい感覚が走ったから。
額に乗せられる冷たい、湿った感覚に瞳を開ける。倦怠感は今も体に熱がこもっている証拠。自分で動いて冷たいものを額に乗せられるはずもない。
開いた瞳の先には誰も映らない。ただ白い天井が迎えてくれるだけ。しかし額には確かに冷たい感覚がある。布団から落ちた腕をゆっくり持ち上げ、冷たいも のの正体を探る。
(なんだ……タオル?)
額に乗せられているのは冷水で冷やされたタオル。氷のうの変わりだろう。
額から広がる冷たい感覚に熱くなった体が冷やされて行く。だが、葉月の周りでこんなことをしてくれる人間に覚えは……あった。たった一人だけ。
「大丈夫……?」
白い天井からその一人だけ、が心配そうにこちらを見つめている。
「……李子……」
意識を失う直前まで思っていた愛しい恋人。彼女以外にこんなことをしてくれる人間もいない。
葉月が目を開けた事に安堵し、ベットサイドにある温くなったスポーツドリンクでは無く、新しく買って来たものを差し出す。冷蔵庫で冷やされていたそれ は、温くなったものより断然美味しかった。
ゆっくりと上半身だけを起こし、500mlのペットボトルに口を付ける。その間鷹谷は額のタオルを取り、冷水に付けていた。
よく見れば制服のまま。学校で自分が風邪で欠席したことを聞き、心配になって来てくれたらしい。心配をかけたことを悔やみながらも苦しい時に傍にいてく れる喜びを噛み締める。
「食欲ある?」
「ない……何も食べたくない。」
「それじゃ熱、いつまでたっても下がらないよ。おかゆ、作ったから少しだけでも食べて?」
鷹谷が傍にいてくれるならいつまででも熱でも構わないと言いかけて言葉を飲み込む。傍にいてくれるのは嬉しいが、心配をかけ過ぎるのは嫌だ。
葉月の答えを聞く前に鷹谷は立ち上がり、洋服ダンスを勝手に開ける。病人がいる手前、いちいち気を使っていられない。何段も引き出しを開け、やっと見つ けた新しい寝間着を引っぱり出す。
「よそってくるから、それまで着替えておいてね。パジャマ沢山汗吸ってるから、変えないと」
てきぱきと動く。寝間着を葉月の前に置き、キッチンへと戻る。キッチンへと続く扉を閉めたのは、葉月に気を使ってらしい。鷹谷なら見られても全然構わな いのだが。
重い体を必死に動かして着替える。ずっと着ていたから気が付かなかったが、新しい寝間着に着替えると随分と楽になった。
着替え終わったのを見計らって扉を開ける。トレーにおかゆと薬と水を乗せて着替えたのを確認すると、寝間着の替わりにトレーを置き、脱いだ寝間着を拾 う。
「……くさいぞ、それ。汗……すごいかいたから」
「汗をかくって言うのはいいことなんだよ、熱を出してくれてるから。それと汗がくさいのは当たり前」
言ってくれる。
何の躊躇もせず寝間着に手を伸ばし素早く畳み、自分の隣に置く。そして再び葉月を見て、食べることを促す。
「ほんのちょっと!ちょっとだけでもいいから食べて?じゃないと薬飲めないから。ね?」
「食欲……無い」
折角作ってもらったものを前にして何だが、本当に食欲が無い。手を動かすことすら億劫になって来ていた。また、熱が上がったらしい。少しだけでもいいか ら食べてと言う鷹谷と、頑なに拒む葉月。いい加減業を煮やした鷹谷が、トレーを掴む。
怒ったかな、と顔色を伺って見るが、顔は怒っていない。レンゲでおかゆをすくい息を二度三度吹きかけたと思うと
「はい、あーん。」
「………………。」
差し出して来た。
別に熱いから食べられないとか言うことでは無いのだが、なんとしても一口だけでも食べさせて薬を飲ませたいらしい。そのまま十秒固まってから、少しだけ 口を開けた。
レンゲが口の中に差し入れられる。薄く塩味のついたおかゆは噛む必要も無く、そのまま喉の奥へ流れて行った。今は熱で浮かされて今は気が付かないが、か なり恥ずかしい。
一口食べてくれたことに素直に喜び、盆を下げようとした鷹谷を、葉月がとめた。
「……食べる」
「無理しなくていいのに」
「食べる……美味かった、だから……食べる」
気を使って言っているわけではないらしい。下げかけた盆を、再び葉月の前に置くと、今度は自分でレンゲを使いおかゆを口に運んでいく。適度に覚まされた おかゆは昨日から何も食べていない葉月の胃にも優しい。少しだけ食べようと思っていたが、結局全て平らげた。これなら薬を飲める。
盆から薬と水だけを取り差し出すと、受け取り苦いいかにも利きそうな薬を一気に喉の奥に流し込む。アスピリンと呼ばれる一般的な解熱剤。風邪薬を飲めば 後は安心。含まれている睡眠を誘う薬が彼を眠らせてくれるだろう。
三十分ほどして、葉月がうつらうつらとし始める。風邪薬が効いてきた証拠だ。その様子に安心して、立ち上がろうとする。それを、何かが遮った。
手首を掴むいつもより二度も高い体温を持つ腕。
布団から伸びた腕が鷹谷の手首を掴み、離さない。振り向くと眠たそうな葉月がじっと、見上げていた。今日眠たそうなのはいつものことではなく、薬のため だ。念のため。
「傍に……」
呟く。
「俺が、眠るまで、傍に……」
台所で洗い物と寝間着の洗濯をしようと少しだけ離れようとした高谷の手首を葉月が掴み、言う。
体の体調が良くない時は人は大抵一人ではいられなくなる。誰かが傍にいてくれると言うだけで安心出来る。葉月の場合、鷹谷だとその効果は倍以上になる。
立ち上がりかけた膝を元に戻し手首をそっと離させ、自分から手を繋ぐ。葉月のベッドのすぐ隣に腰を下ろし微笑んで頷く。
「何処にも行かないよ」
ぎゅ、と強く手を握ると、安心したようなに葉月が笑い、瞳を閉じた。
握られた手は熱い。強く握り存在を確かめる。これが夢でないことを確かめるために。鷹谷の何処にも行かないよと言う言葉。つい昔のことを思い出しそうに なる。
直ぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。これで、一応は一安心。食事をして、薬を飲んで、あと病人がいる時はひたすらに眠ること。
約束通り、眠るまで鷹谷は葉月の手を離さなかった。離そうにも握られた手があまりに強く、離すことが出来なかった。
眠る葉月を見つめ、握っている手に頬を寄せる。
繋がれた手は熱い。風邪のせいで熱いだけでは、無い気がした。
しばらくしたら離すだろうと思っていたが、一向にその様子は無い。陽は既に落ち、辺りは夜の帳を迎えている。しかし手は離れない。最初はなんとかして離 そうと色々試してみたが、頑固な葉月の手は鷹谷を離さなかった。次第に疲れて来て、鷹谷も葉月のベットに頭を乗せ、座ったまま眠ってしまった。
鷹谷は、初めて朝帰りを経験することになる。
翌日早朝、熱のすっかり引いた葉月が目を覚ますと、自分の手を握ったまま眠る鷹谷の姿を見た。自分が離さずに帰れなかったことはすぐに分かった。そっと 手を離し、座り込んで寝ている鷹谷の体を抱き上げ、ベッドに移す。鷹谷を寝かせ、自分もその隣に眠る。布団をかけ、起きないように抱き締めて。鷹谷の髪に 顔を埋め、葉月が至極嬉しそうに微笑んだ。
手を繋ぎ、再び眠りに落ちた。
2002.0701

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