「李子」
「ん?」
「日曜、暇か……?」
五時限目を終え帰り支度をする鷹谷の元に葉月が近づいて来た。
木曜日の五時限目、最後の授業が氷室と言う藤井が聞いたら死にそうな顔をしそうなスケジュールをこなした氷室学級エースの二人が仲良さげに話している様 をクラスメート達は遠巻きに見つめる。片や今をときめく雑誌モデル葉月珪。もう片方ははばたき学園のマドンナと言っても過言ではない鷹谷李子。完璧過ぎる カップルに見える二人だがまだつき合いはしていない。友達以上恋人未満の今時珍しい関係を続けていた。
周りには聞こえないように葉月が言うと、教科書を鞄に詰めながら鷹谷は今週のスケジュールを頭の中で確認した。明日は吹奏楽部の練習があるが、週末は家 でのんびりしようと何も予定は入れてない。
「うん、暇だよ。どこか遊びに行く?」
「いや……」
葉月が珍しく言葉を濁す。視線を鷹谷から外し地面に移し腰に当てた手を下ろしたりしている。遊びの誘いならすぐに乗るがどうも様子が違う。首を傾げて言 葉を待つと、決心した葉月が鷹谷の不思議そうにしている目を見て切り出した。
「俺の家……来いよ」
本人達よりも周りの人間が驚いただろう。聞こえていれば。しかし幸いにも葉月の声は大きくなく、ついでに聞き取りやすい喋り方でも無い。聞こえていたら クラスメート達は一体何を想像するのだろうか。家に行く、いい雰囲気になる、そのまま行くところまで行く、と言うのを想像するのが普通だろう。思春期と言 うのは箸が落ちても色々な想像をするものだ。何か間違った使い方をしているような気はするが。
しかし葉月が鈍いと言ってのける鷹谷、葉月の上を行く鈍さの鷹谷はあっさりと
「うん、行く」
と答えた。
周りは鷹谷の言葉だけ聞こえたらしく、ああまたデートなのかうらやましい。程度に思っていた。男は鷹谷とデートが出来て、女は葉月とデートが出来て、 と。
やけにあっさりと返事をした鷹谷に葉月もやや肩すかしを食らったような顔になる。葉月を信用しているとは言え仮にも男の家に行くと言うのにこのあっさり 感はなんなのだろう。まさか昔自分と一緒に遊んでいたのを思い出したのかと思ったが、他は相変わらずの鈍いっぷり。勘違いだった。
「……家の前で待ってろ……迎えに行くから」
「うん、待ってる。お土産持って行こうか?ケーキ焼いてく?」
「……あれ、食べたい」
「どれ」
「えっと……コーヒークリームの……ぐるぐるした……あのケーキ」
「コーヒーロール?」
「それがいい」
「分かった。じゃ作って行くね」
『それじゃまた明日ね』と続ける鷹谷に葉月は続けて
「俺も……一緒に帰りたい」
言われて断る理由は無い。
笑って頷くと嬉しそうな顔をした葉月は飼い主の後を付いていく大型犬に他ならなかった。
学校帰り二人は自然と喫茶店に向かい互いの趣味の話をし、帰宅した。葉月の心の中は踊っていたが、顔には出ていなかった。鷹谷を家に招く。それだけで舞 い上がりそうな気持ちになる。
翌日、翌々日と葉月は学校で爆睡していた。氷室の授業だろうが誰の授業だろうが所構わず眠る葉月に成績がいいと言う理由で注意をすることは無かった。担 任の氷室だけは見事に注意したが効かなかった。氷室が思ったことは、今は春では無いのにと言うすっとぼけたことだった。
そして来る土曜日、いつもより緊張した面持ちの葉月が鷹谷の家の前で待つ。基本は約束の十分前。が、家の前で待ち合わせなら別に十分前に待ち合わせなく てもいい気がしないような気もしない。
階段を下りてくる音と何やら言い合う音が聞こえ次に玄関を開ける音がした。キャミソールに下は青いミニスカートを履いた鷹谷の姿を見て、葉月の動きが一 瞬止まる。眠っているわけではなく、いわゆるときめいていると言うやつで。
「いってきまーす!……うわ!葉月くん!!」
「……そんなに驚くことか……?」
「まだ時間より早いよ?」
「……迎えに来た」
「いや、そうじゃなくて」
「……ん?」
「何でもない。行こうか?」
「ああ……。荷物、持つから貸せよ」
鷹谷が下げている紙袋に目を留めすかさず手を差し出す。
「大したもの入ってないし大丈夫だよ?」
「……いいから」
「じゃあお言葉に甘えて。リクエストのコーヒーロールだよ」
「…………。」
「喜んでる?」
「……なんで、分かった?」
「顔、笑ってるもの」
(何処が笑ってんのかわかんねぇ……)
最後にドアの隙間から呟いたのは弟の尽。確かにはたから見ればどの辺が嬉しそうなのかさっぱり分からない。
臨海地区にある葉月の家は小高い丘の上にある見晴らしのいい所だった。すぐ近くに海があり、柔らかい潮風が心地いいどちらかと言うと別荘と言う言葉が似 合うような家だった。とりあえず鷹谷の家よりは大きい。
ドアに手をかけて何か思いついたように振り返り、じっと鷹谷を見つめる。
「なに?」
「なんのおかまいも出来ませんが……」
真顔で、物凄い真顔で。本人は至って真剣なのだが高校生の言う台詞ではない。聞き慣れない言葉に一瞬間を置いて吹き出す。まさか葉月の顔から、物凄い真 顔で飛びでて来る言葉は予測できなかった。
「あははは!あはははは!!やだもう葉月くん!おかまいも、なんてあっはははは!!」
何を笑われているのかさっぱり分からない。最初は不思議そうにしていた葉月だが止まることの無い鷹谷の笑い声に次第に機嫌を悪くしていく。機嫌がいい時 と悪い時の差がいまいち分かりにくいが、今は機嫌が悪い。口を真一文字に引き結び眉を上げる。
しまいには膝を叩いて爆笑し始める鷹谷に葉月が不機嫌と苦し紛れに言い返した言葉は
「……ジュースぐらい出してやる」
負け惜しみの言葉で鷹谷が更に爆笑したのは言うまでもない。
結局葉月は鷹谷を見返すことが出来ずに家の中に入った。ひとしきり笑った後不機嫌になった葉月に謝ったが通じなかった。まだ笑いを堪えている顔がそこに あったからだ。
笑い過ぎたお詫びにとコーヒーを淹れると鷹谷が言う。バイトで培った経験は確かで、今ではマスターより美味しくコーヒーを淹れると定評もある。鷹谷の提 案に反対する理由は見つからず、葉月はテーブルについた。目の前にはコーヒーロールケーキ。そして台所には鷹谷の姿。
手慣れた手つきで次々とコーヒーを淹れる準備をしていく後ろ姿を頬杖をついて見つめる。後ろで見ていると勘違いしそうになる。まるで自分と鷹谷が夫婦な のではないかと。夫のためにコーヒーを淹れる妻。
(……いいな、それ)
葉月の中ではすっかり出来上がってしまっているらしく、しまいには子供の姿まで想像し始めた。表情が顔に出にくいだけにつっこむタイミングもなかなか難 しい。カップを取りだし均等に注ぐ。すぐにコーヒーの香りで室内が満たされた。深く息を吸うと独特の香りが肺一杯になる。
一姫二太郎まで想像した所で目の前にカップを置かれてやっと現実に戻って来た。いつの間にかコーヒーロールも切られ葉月の前に出されている。決して綺麗 とは言えない形だが味の保証はある。
「……いただき……ます」
「どうぞ」
律儀に両手を合わせ食事前の挨拶をすませてからフォークを手に取る。葉月が口運ぶまで鷹谷は手を付けない。お客さんより厳しい審査員の味覚。言葉に粉砂 糖をまぶしたフォローは全くない。直球勝負。今まで料理やお菓子を作って来たが葉月と出会ってその腕は格段に上がっている。不味いとは言わないが、美味し くないと無言で、残すのだ。言われた方が反論も出来るがそこまでされては食ってかかることは出来ず、元々鷹谷の持っている負けず嫌いな部分も刺激してリベ ンジと言う形で家事の腕は上がっていった。
銀色のフォークで一口サイズに切り、口に運ぶ。真顔。
口を動かす。真顔。
飲み込む。真顔。
表情の変化が全くない。不味いのか美味いのか、一口食べただけでは分からない。一瞬まずいのかと心配したが、そんな杞憂はすぐに飛んだ。一口食べたあ と、また一口口に入れた。
顔が変わらないだろうとなんだろうととりあえず気に入ったらしい。厚めに切ったロールケーキだったが葉月の手によってあっと言う間に平らげられた。しか も五分ほどで。コーヒーを飲んで一息つく。やっと、感想が聞けそうだ。
「ど?」
「ん……」
「コーヒーロール。」
「うん……」
「美味しくないなら食べなくてい……」
「美味いよ……」
秋に森林公園に行った時と同じような押し問答。鷹谷がふてくされてしまう前にすかさず葉月がフォローを入れる。美味しいことは美味しい。しかし鷹谷に美 味しすぎて感想が遅れた、とは言えなかった。こういう時に自分の口下手さが嫌になる。伝えたいことは沢山あるのに口がついていかない。今も、言いたい事が あるのにうまく言えない。
空になったコーヒーカップを見て立ち上がる。まだ暖かいコーヒーを再びカップに注ぐ。葉月は注ぎ終わるのを待つ。コーヒーの味は喫茶店のものとも少し違 う、喫茶店のものが不味いわけではないが最近はこちらに飲み慣れているためか他のコーヒーを飲むと違和感を感じてしまう。
「李子……」
「んー?」
カップに注がれるコーヒーを見つめる。
「本当に、美味かったから……あんまり、うまく伝わらないかもしれないけど……本当に、美味かった、から」
俯き加減で申し訳なさそうに葉月が呟く。あまり仲が良くなかった時にこんなことを言われた事はない。鷹谷がまだふてくされているのかと思い彼なりの精一 杯のフォローをする。こういう時によく回る口が欲しいと思う。伝えたい人に伝えたい言葉が出てこないのがここまでもどかしくて腹立たしいものだとは思って も見なかった。
「だいじょぶ、分かってるから。全部食べてくれたから……口の端にクリーム付けて」
耐熱性ガラスのポットをガス台に戻しながら笑いを含んだ声で言うと不思議そうな顔をした後口元を拭った。
「そっちじゃないよ、反対。ああ、そこじゃなくて……ほら、ここ」
付いている側とは反対をこする葉月に指を伸ばし拭っている方とは逆についているコーヒークリームを指ですくい、目の前に差し出した。
「ね?葉月くんて変なところで子供っぽいよね。雑誌の中とは全然違うんだもん」
『クリーム付いてるの可愛いから写真に撮っておけば良かったかな』など続けて手を引く。その手を、葉月が右手で掴んだ。
「なに?」
突然手を掴まれて驚く。無言だった葉月が座ったまま鷹谷の顔をじっと見上げている。目で何かを訴えたいのか、何か言いたい事があるが言葉が選べずにいる のかそのどちらとも取れる行動に困惑する。とりあえず掴んだ手は離して欲しいのだが。鼓動が踊って仕方がない。
一度開いた口を再び結び、何も言わずに手を引き寄せる。繋がっている体も自然と葉月の方へと傾いていく。抱き締められるのかと考えたが立ち上がる様も無 い。何をされるから分からず困惑する。
口元に指を持っていきクリームのついた鷹谷の指をじっと見つめる。
大体何をされるか想像出来た。想像して赤くなる。
「葉月くん、タイム!!」
言葉が先か、動きが先か。『ム』を言う時には再び口を開いた葉月に指を咥えられた。
葉月流の仕返し。想像していた通りの行動を取られ赤い顔が更に赤くなる。学校と違いここが葉月の家のせいかいつもより少し、いやかなり大胆な行動に出て きた。
腰砕けになりそうな鷹谷を見てまた葉月が動く。空いている左手が視線の先にある腰を捕まえ引き寄せた。指を咥えられているだけで足下がおぼつかない鷹谷 に更にこの仕打ち。からかったのが何十倍もの恥ずかしさと照れになって返って来た。
膝の上に座る形になった。目の前に突然葉月の整った顔。指はまだそのまま。これで動揺しないほうがおかしい。
結局この後二人は恋人の時間と言うやつを満喫したらしい。
一週間後
「……李子、今度の日曜日、暇か?」
「な、なに?」
「俺の家……来…」
「!!!!」
「李子……?」
「い、うあ、え、えと、や、その……」
「……もう、しないから……あんなこと」
「あんな?!」
「……キ」
「わああああああああああああああああ!!!!」
あの後何をしたかは、モデル葉月珪のファンの為を思い、秘密にしておく。
2002.0627

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