バイト中にかかってきた一本の電話。
「はい、喫茶店ALUCARDです。」
「李子ちゃん?俺俺!」
「あ、どもです。コーヒーの注文ですか?」
「じゃなくて!李子ちゃん、珪がそっちに行ってない?!」
「珪……?葉月くん?いえ、来てないですけど……まさか」
「そのまさかなんだよ~!もう撮影時間とっくに過ぎてんのにあいつまだ来てないの!悪いんだけど李子ちゃん……」
「分かりました、心当たり探します」
「よろしく!あ、あとついでにコーヒー。いつものやついつもの人数分で!」
「はいはーい」
受話器を置き、白いエプロンを外しながらカウンターの中にいるマスターの顔を見ると、黙って頷く。どうやらそこまで聞こえていたらしい。撮影所にコー ヒー、と告げてから頭を下げて鷹谷李子は下は黒のスカート、上は白いブラウスのまま喫茶店を飛び出した。最近こっちの仕事の方が多い気がする。
今をときめく雑誌モデル葉月珪。はばたきウォッチャーの表紙を何度も飾り大人気の彼には少し困った癖がある。それは
眠たくなったらどこでも寝てしまうこと
とにかく眠くなったら所構わず寝てしまう。元々眠たそうな顔をしているのだが。
前は公園のベンチで寝ていた。とりあえず最初はその公園に向かうが、子供達の声がするだけで葉月の姿は見あたらない。はばたき市を駆けずり回ることを覚 悟して、鷹谷は一つ一つ葉月の行きそうな所を回った。
(公園通り……いない)
葉月の行きそうな所は大体想像がつく。それは鷹谷と葉月が仲がいいと言うことなのだが、とにかく葉月はのんびりとした所が好きだ。ゲームセンターやカラ オケボックスなど騒がしい所にはいないだろう。プラネタリウム、植物園、水族館を回ったが何処にも葉月はいなかった。
これだけいなくても鷹谷は決して慌てない。ここにいないとなると、もうこの季節、春と言う季節で葉月が一番行きそうな寝心地の良さそうな所は、一つだ け。
「…はあ、やっぱりここにいた……」
森林公園。
桜は散ってしまったが緑色の芝生の絨毯は柔らかそうに公園一杯に広がっていた。
大きなの下に、葉を日よけにしながらこんこんと眠る葉月を見つける。前にここで一緒に昼寝をして葉月がいたくここを気に入っていたのを思い出した。近づ いて見ると、やっぱり寝ている。長いまつげが頬に影を作っていた。とりあえず、本人は見つけた。
ポケットから携帯電話を撮りだし慣れた手つきで電話帳からカメラマンの携帯番号を探す。葉月がいなくなる、鷹谷に電話をする、葉月が見つかる。いつの間 にか定着してしまったこの連絡図。
「鷹谷です、葉月くん発見しました」
「良かったー!じゃあ李子ちゃん、悪いんだけど……」
「引っ張ってでも連れてきます」
「よろしく」
笑いながら言って電話を切る。
とは言ったものの、気持ちよく眠る葉月をたたき起こすには些か抵抗がある。しかしこのままでは撮影に遅れるどころか中止にもなりかねない。心を鬼にし て、鷹谷は葉月の肩を掴み
「葉月くん!」
揺すりながら名前を呼んだ。
「ん……」
「葉月くん、今四時だよ。」
人を起こすには時間を言うのが一番いい。
二、三度肩を揺らすとまつげが揺れて葉月の目が開いた。
「……李子?」
「おはよ」
「ああ……おはよう」
「……。」
「……どうした」
「今、四時です」
「……ああ」
「今日は、撮影の日です」
「……」
「分かった?」
「また、やったのか……?俺」
「うん」
既に慣れてしまった会話。参ったな、と髪を一度かきあげた後、木に預けていた背中から体を離した。
沈黙がしばらく続く。鷹谷は自ら口を開かず葉月の言葉を待った。今、頭の中で状況を把握しようと葉月の思考がフルに活動しているのが目を見れば分かる。 普通に見れば分からない瞳だが、見慣れると葉月の表情、瞳はよく変わる。さっきは驚いている顔だし、今は状況判断しようと必死になっている顔をしている。
「……行かないと、いけないな」
「カメラマンさん、待ってるって」
「そうか……お前、バイト中、だったんだろ……?ごめんな、忙しいのに」
「気にしないで、ちゃんと注文ももらったし。あとは葉月くんを連れていけば私のお仕事終わりだから」
眩しそうに鷹谷を見上げる葉月に笑って見せた。
手を差し出すと、葉月も鷹谷の笑顔に笑って返し、小さな手を優しく握った。
立ち上がり、ズボンについた汚れを片手で払う。手は、まだ離さない。不思議そうに手を見つめていると、葉月が視線に気が付き恥ずかしそうに
「手、繋いでろよ……」
と口の中で呟いた。
誘いに断る理由は無く、さっきよりも強く手を握ると葉月は照れ笑いを深くした。
森林公園から撮影所までの距離いつもより心持ちゆっくり足を進めた。
ショッピングモールを通り抜ける時何人かの女子高校生が葉月の存在に気が付いたが、二人は気にも留めず手を繋いだまま歩いた。隠す必要などどこにもな い。
ショッピングモールを抜ければすぐに撮影所がある。中では多付きの到着を今か今かとスタッフが待っているだろう。
「それじゃ、葉月くん私……」
そう言って手を離そうとしても、葉月は手を離そうとしない。依然として強く握ったまま。
「……撮影」
手を握ったまま、葉月が鷹谷を見下ろして呟く。
「……終わるの、遅くなるかもしれない。だけど……待ってて、欲しい。俺、家まで送るから。だから……」
「分かった、じゃ撮影終わる頃に差し入れに行くから、それから一緒に帰ろう?」
鷹谷が言うと、葉月の微笑み握った手を口元に持っていき口付ける。驚く鷹谷に今度は手を自分の頬にすり寄せた。口べたな葉月の精一杯の愛情表現。
名残惜しそうに手を離し、撮影所に入っていく葉月に手を振り、建物に背を向ける。キスをされて、頬に寄せられた自分の手をそっともう片方の手で包んだ。 忘れた頃に、うれしさが込み上げて来て笑いを堪えるのにしばらく時間がかかった。あの葉月が、自分にだけ見せる行動と言葉と笑顔。それは全て彼女のもの。 写真にも載らない葉月珪の素顔を一人の女子高生だけが知っている。
撮影が終わる頃、鷹谷は約束通り差し入れを持って撮影所に入る。既に顔馴染みとなっているスタッフに声をかけられそれに答え葉月の元へと向かう。丁度撮 影を終えたばかりの葉月が、鷹谷の姿を見つけ嬉しそうに近づいてきた。撮影が終わってから見せる最高の笑顔にカメラマンは
「……今度李子ちゃんもモデルで誘ってみようかな……。あの子結構可愛いし、一緒だと珪もいい顔するし」
指で作ったファインダーに二人の姿を映しながらカメラマンが呟いた。
無論この案は葉月によって却下された。何故なら
「……あいつの笑顔、誰にも見せたくない」
からなのだそうだ。
ごちそうさま。
2002.0625

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