Live not to eat, but eat to live
食べるために生きず、生きるために食べろ。
目の前にあるのは白いボウルに盛られたキャベツの千切り二つ。そしてそのボウルを複雑そうな顔で見ているのは、
当麻。時刻は十二時を少し過ぎたランチタイム、これは、
当麻のランチだった。
(いくら野菜不足だからって流石にやりすぎた……)
仕事上不規則な生活な為最近の食事と言えばファーストフードが専らだった
当麻は、これではいけない、野菜不足を補おうと今朝スーパーに寄り、サラダでも買おうと思ったのだが正面入り口にあった『SALE』の文字に引かれ、一気に食べれば何とかなるとキャベツの千切りのパックを二つとドレッシングを一本購入し、トレーニングルームにある冷蔵庫に放り込んで置いた。
一応スポンサーである会社の社員として登録されている
当麻ではあるが、ヒーローランキングは奮わず、また会社自体がヒーローと言うものに積極的ではないせいか出社の機会はあまりなく、ほとんどを拠点であるジャスティスタワーで過ごしている。幸い今日はまだ誰もこちらに来ていないらしく、
当麻一人。
(こんなとこウサギに見られたらなんて言われるか分かったもんじゃないな)
ボウル二つに盛られた大量のキャベツの千切りと、ドレッシング一本。あの男の事だ、こんなものを見たらどっちがウサギなんですか? とかそんなに食べることに困ってるんですか? 可哀想に。など皮肉な笑みと哀れみすら漂わす視線をこっちに送ってくるに違いない。
これは奴が来る前にさっさと胃袋に収めるしかなさそうだ。
並んだボウルの一つを手に取り、ドレッシングをかけフォークを握り締め行儀は悪いがキャベツを混ぜて一気に口に運ぶ。
久しぶりの新鮮な野菜の歯ごたえに最初は食が進んだが、半分ぐらいキャベツが減ったところで急にペースダウンしてきた。
(飽きるだろこれ。つか全部食うの無理な気がする)
一旦ここで止めて冷蔵庫に戻すことも考えたが、ウサギことバーナビーがいつ来るか分からないし、バーナビーに見つからなかったとしても誰かしらに冷蔵庫を空けられたら言い訳が面倒くさい。ここは食感だとか飽きたとか言う感覚を捨て去り、一心不乱にキャベツを頬張るほうがよさそうだ。
「おや。やあ
当麻君! こんにちは、そしてこんにちは!」
「………よりにもよってお前が来るのかよ」
トレーニングルームに入ってきたのは大きな紙袋を抱えた風の魔術師、老若男女に絶大な人気を誇るスカイハイことキース・グッドマンその人だった。現在はランキングのトップをバーナビーに譲ってからは彼をキングオブヒーローと呼ぶ人間こそ減ったが、それでも
当麻よりは遥かに人気のあるヒーローには違いない。そして
当麻がバーナビー以上に苦手なのが、このキースだった。
「一回で聞こえてる」
「それはすまない。つい癖でね!
当麻君はランチの途中のようだが、これは……」
気づくなといわれる方が難しい山盛りキャベツの千切りのボウル二つを不思議そうに見つめ、何かを思案するようにキースが首を傾げる。テーブルにあるのはボウルに盛られたキャベツの千切り二つと、ドレッシング一本。それとフォークを持ってこちらを嫌そうに見る
当麻。
これは一体どういう状況だと理解すればいいのだろうか。
(は! まさか
当麻君はランチにキャベツしか食べられないほど生活がひっ迫しているのだろうか!)
これは大変だ。一応建前上ヒーロー同士ライバルと言うことになるのだが、そんな事を今気にしていることではない。目の前には辛そう――嫌そうにも見えるが――にしている
当麻がいる。キースにはこの状態を放っておけるはずはない。
「そうか……! そんなに君は追い詰められてッ!」
「は? いや全然話が見えないんだけど何が?」
「全て話してくれなくてもいいんだ! 私には全て分かっているから!」
「だから何を分かってんだよ……」
一人何かを納得し、涙すら浮かべそうな勢いのキースに完全に引き気味の
当麻。彼の頭の中では何がどうなっているのか拳を握り締め、抱えていた紙袋に片腕を入れると、何やらごそごそとまさぐり取り出したのは、真っ赤なリンゴだった。
「よければこれも食べてくれ。赤だけでは足りないかな? それではこちらの青リンゴもデザートにプレゼントしよう! 野菜や果物だけでは心もとないな……。そうだ、ホットドッグも買っておいたんだ、これも君にプレゼントだ! 足りの無いのならこのサンドイッチとフランスパンも一本進呈しよう!」
「お、おい待て」
当麻が止める隙も与えずキースは紙袋から次々にリンゴやホットドックを取り出し半分程減ったキャベツの上に無遠慮に乗せてくる。しかも紙に包まれた状態のままで。更にその上にキャベツを押しつぶすようにリンゴが乗せられシンプルとしか言いようのないキャベツの山盛りが謎の盛り合わせに変わり果てていた。
「あほかァァァァァァァァァ!!」
流石の惨状に
当麻が咆哮を上げ、テーブルに両手を激しく叩きつけ立ち上がると今度はキースが勢いに負け始める。
「あのな! お前の頭の中で俺がどういう状態かは知らないけどな、だからっておま、ドレッシングひたひたにかかってるキャベツの上にリンゴやらパンやら置くな! 乗せるって言う選択肢しかないのかよお前の頭ン中に! もっとテーブルに普通に置くとかあっただろうが!」
「おお。それは気づかなかった」
全く悪気の無い、心から良かれとおもってキースが
当麻のボウルに色々乗せてくれているのは分かるのだが、強引過ぎた。乗せられていたリンゴはボウルからすべり落ち、床を転がり水分を吸収してしまったホットドッグの包み紙は破れキャベツに垂れ下がり、フランスパンはぎりぎりで阻止したつもりだったのだが
当麻が反論している間にキースが置いてしまったらしくくったりとだらしなくその身を横たえていた。
頑張れば食べられるだろうが、どうみても食欲を刺激するものではない。勿論キャベツの千切りだけのボウルが刺激するのかと聞かれれば、即答で刺激されるとは答えられないが。
「うわぁ」
最早こんな声しか出てこない。流石にホットドッグの包み紙が破れていたりフランスパンがぐったりとしている姿にキースも惨状に気づいたのか、先程までの笑顔は消え、眉を寄せ悲しそうな顔を浮かべている。この惨状を起こしたのは誰でもなく彼なのだが。
「
当麻君、すまない!」
「…………。」
「本当にすまない……。空腹で辛そうにしている君を見ていると、大切な友人を思い出してしまってついやりすぎてしまったようだ」
「友人?」
様子の変わったキースに今度は
当麻が眉を寄せる。見れば、今にも泣きそうな顔をしたキースがこちらを見ている。
当麻を見ているのか、それとも
当麻を通して大切な友人を見ているのか。
「彼も空腹の時君のような辛そうな顔をよくしていたんだ……」
「スカイハイ……」
「それでついやりすぎてしまった。すまない、
当麻君。本当にすまない!」
「あ、いや。えっと……」
腰を深く折り
当麻に向かいキースが頭を下げる。そのまま地面にすら着きそうな状態に
当麻も焦る。キャベツの惨状に感情を任せ怒鳴ってしまったのが急に後ろめたくなり頭に上っていた血が急に下がっていく。まさか自分を通して大事な友人を見ているとは思いもしなかった。
「その、俺の方もお前の思いとか知らないでいきなり怒鳴って悪かった。お前の大事な友人って言うのは死んでないんだよな……?」
「勿論! 彼は今日もうちで元気に走り回っているよ!」
「走り回ってるのか、良かったな………ってえ?」
「うん?」
「走り回る?」
世の中色々な人間がいるのだから家の中を走り回るのが趣味ならば否定する気はないが、思わず聞き返してしまう。しかもその大事な友人とやらは、キースと生活を共にしているらしい。
「空腹だった時の事があるからなのか、彼は朝も晩のドックフードは一粒残らず平らげるんだ」
「おい。待て。ちょっと待て。まさかとは思うけどお前の言う大切な友人て……」
「彼の名前はジョンと言ってね! 大きな体に似合わずとても優しい性格で……」
「犬じゃねえかそれーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
一瞬でも罪悪感やキースの優しさに感動しかけた自分が馬鹿みたいだ。いや、彼にとっては大事な友達かもしれないジョンだが犬と同列に考えられているとは頭をかすめもしなかった。
「確かにジョンは犬だが私の大切な友人には変わりな……」
「馬鹿かお前ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
一旦頭から下がった血がまた一気に頭を上り、目の前が真っ赤に染まる。最初からキースはジョン――キースの愛犬――の事を言ってただけで別に
当麻が犬並などと言うつもりは到底無いのは分かる。分かるのだが今の
当麻にそんな事を理解する冷静さは欠片も無い。
頭に上った血はそのまま
当麻のNEXT能力に火を付けてしまったらしく、ふわふわとキャベツの入ったボウルやトレーニングルームにある雑誌やらが
当麻の周りを漂い始めた。
当麻のもう一つのNEXT能力、サイコキネシス。普段は索敵で千里眼の方を使うため、ほぼこちらの能力を使ったことは無い。怒りで震えている
当麻を前に、キースは何を怒っているのか分からないと言った風に首を傾げる。
(もしかして彼は猫のほうが好きだったのだろうか)
見当はずれな事を考えている間にも
当麻の怒りのボルテージは上がり続け、ボウルとキャベツと雑誌が宙を舞う。顎を摘み首を傾げ怒髪天をつきそうな
当麻の顔を見た時、浮いていたボウルがキース目掛け勢いをつけて飛んだ。
「おっと、危ない」
かなりの速さで飛んできたボウルをキースは難なくよける。普段かなりのスピードで空を飛んでいるキースからしてみればこれぐらいのものを避けるのは簡単なことなのだろう。
顔面にぶつかって悲鳴の一つでも上げさせようと目論んでいた
当麻の思惑は外れた。
「ぶっ!!」
――に思えたのだが、いい音と共に悲鳴は上がった。
しかしそれはキースではなく。
「やあ、バーナビー君!」
「げっ」
ちょうどキースの後ろ、トレーニングルームの入り口に誰かが立っていた。
赤と白のライダースジャケットに、カーキ色のズボン。顔面は分からないが、ボウルからはみ出す髪の色は、金。
現ヒーローランキング一位、バーナビー・ブルックス・Jr。
当麻とは犬猿の仲とも言える男がそこに立っていた。顔面にボウルをぶつけた状態で。
あまりの出来事に我に返った
当麻がNEXT能力を収めると、バーナビーの顔面に張り付いていたボウルが落ち、床に転がる。
「…………」
ボウルの音だけが響く中、顔の中心を赤くされたバーナビーの呆然とした顔があったのだが、何かが足りない。
「バーナビー君大丈夫かい? 眼鏡が割れているよ」
ボウルが激突した時にいい音と共に何かが割れる音がしたが、それはバーナビーがいつもかけている眼鏡のレンズが割れた音だった。
キースの問いかけに、バーナビーは答えずボウルをぶつけた張本人
当麻は流石にこれはまずいと謝罪の言葉を口にしようとした、のだが。それよりも先にバーナビーが
当麻の眼前に迫っていた。
「ちょ、ちょっと待……」
怒っている? と聞くまでも無い。この速さで眼前にまで迫ってきたのだ、当然NEXT能力を使ったのだろう。つまり、それ程今、バーナビーは怒っている。
「ギャアアアアアアアアアアアアア!!!!」
トレーニングルームに
当麻の悲鳴が響き渡る。そんな阿鼻叫喚の図の中、キースは一人心の中で思う。
(バーナビー君、私は君が羨ましいよ。
当麻君とそんなに仲がよさそうに出来て……)
ハンドレットパワーを発現させありえない速さで追いかけられている
当麻を遠い目で見つめ、そんな事を思うキースの姿があることを
当麻は知るよしも無い。今は捕まれば死ぬかもしれないこの状況を切り抜ける事をしか頭に無かった。
こんな状態で追い掛け回されるのなら、キースに盛られたリンゴやホットドッグ、フランスパンを文句を言わず食べておけばよかったと後悔すると同時に、食べ物が人間にとってどれだけ大事かを改めて感じていた。キャベツしか口にしていないこのままの状態ならば、自分が捕まりバーナビーに殴られるのは時間の問題かもしれない。

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